きら(吉良)りんワンダーランド☆ミ

✨記事一覧は右サイドの『最新記事10』をClick!⤵️

採用から3ヶ月間も待たされた挙句、真の第二の本業をたった5回でクビにされたので、あっせん?とやらを致したいと思いますですわぁ!!!

え〜〜っと、とりあえずはい。

先日はこのような感じで取り乱してしまい申し訳ありませんでした。

あまりにも突然過ぎる事なのと、あまりにも物凄い裏切られ方をされたので、

もう完全に人生どーーーでもよくなってしまっていました。

とりあえず、段々とSAN値が落ち着いて来たので、

一先ず、事の経緯を時系列順に説明して行こうと思います。

もうクビにされたんで別に言ってもええか。

はい、真の第二の本業が決まったという旨の記事にて、

福祉業界の支援の仕事と書きましたが、

これは謂わば、『B型就労支援の事業所の支援員』の仕事でした。

それも、今月からようやく開所されたばかりの所。

しかも、職業訓練校と同じ会社内での事業所。

 

...はい、順番に説明しますね。

まず、手始めに、私が社会人になった頃についてから簡単に振り返りますね。

新卒後に1年間就いていた、何処ぞの自治体の広報部署の非常勤の仕事。

過去にも、ウチのブログ内で何度でも何度でも何度でも言いまくっていましたが。

もう辞めてから2年以上経ったし、もう時効経ったから別に言っても良いよね??

まぁ、誰かさんから怒られそうだから、直接的な言い方はしないけども。

何処ぞの自治体って言い方をしてたけども、別にどっかの小さな地域の役所とかでなく、

関西のトップの機関での広報部署で修行をしておりました。

はい、毎週のように吉村洋文知事ともお逢いしておりました。

吉村知事と一緒にTVに出た事もあります。着ぐるみの中で。

最初こそは緊張しまくっていましたが、時が経つに連れてもう当たり前のように逢っていましたね。

そこで1年間非常勤として働いた後に退職して、半分NEET・半分フリーター状態となり、

この『きら(吉良)りんワンダーランド☆ミ』を開園させました。

私は、関西のトップの機関での広報部署に1年間間近で見続けて、

広報についてのアレコレを学んで行き、そのノウハウを元にブログを続けていました。

...って言っても、ほとんど広報部署内での雑用しかやらされなかったけどな。🙄

あと、着ぐるみの仕事も40回ぐらいやって、スキルを学んで行きました。

着ぐるみの片付けとかも自分でやるので、今では初見の着ぐるみでも、見ただけで着方が大体分かりますね。

 

まぁ、その辺の話は別に良いんですよ。

それから私は、去年の7月半ば〜11月半ばまで、職業訓練校に通っていました。

HTML・CSSを使ったホームページの作り方や、フォトショイラレでのグラフィックの作り方などを、しっかりと頭に叩き込みました。

kirarinwonder.web.fc2.com

それによって、現在でも自身の公式ホームページを更新し続けて、運営を継続しております。

まともな職歴が無い以上、私には若さと言うアドバンテージを武器にゴリ押す為に、

訓練校で少なくとも使えるスキルを備えようと言う魂胆でした。

 

それからと言うものの、

コスプレ用品の会社の事務のバイトに応募するも、面接も無しに門前払い。

どっかのレストランでの専属の着ぐるみバイトの面接も、日程が決まっていたはずなのに、もう採用者が決まったからとの理由に、直前で面接をバラされたり。

どっかの地方でのコスプレスタジオのインターンに応募して、会社説明会に参加すると、代表の方に物凄く気に入られて、ほぼ間違いなく受かったと思いきや、

迎えた役員面接で、他の役員が露骨に険悪な顔をされ始めて、10日も結果を待たされた挙句に不採用されたり。

ただでさえ、働いたら負け精神である私にとっては、興味のある事や好きな事で無いと働き続ける意欲を抱く事が出来ません。

それなのに、こんな私でも働きたいと思える数少ない求人に応募しても、何処もかしこも門前払いをされ続けて来たので、私にはこの世の中を生きる資格が無いのだなと、完全に心が折れておりました。

 

そんな状態での、1月下旬。

私は再び、通っていた職業訓練校の指導員の先生に相談しに行きました。

はい、それはまさに、このジャジャーンカラブルマ履いた時の直前ね。

・・・何言っとんねん。

訓練校の指導員の先生と相談していると、指導員曰く、そこの訓練校内でも私の存在を物凄く気になっていたそうで。

ここまで働く事に対して燻り続けている生徒なんて、そりゃあ居ないでしょう。

今までの生徒の中で、恐らく私が最高難易度でしょうから。

それで、訓練校の先生方も、私の持ち前のポテンシャルを知っているので、どうにかウチの会社内でもどうにか出来ないものかと話していたそうな。

私が作った訳分かんないオフィシャルサイトも見せていますからね。

すると、丁度この時に、その職業訓練校の会社内で、新たに『B型就労支援の事業所』を作る事になっていたそうな。

それで、そこのオープニングスタッフ的な感じで、一緒に働く支援員のバイトを募集し始めようとしていた所でした。

そこで、訓練校の指導員の先生は、そこのB型事業所の責任者の方に、「今日、吉良(偽名)って子が相談しに来るんだけど、一目会ってみる??」と話していたそうな。

さっきから、指導員の先生の後ろで、チラチラとこっちを見てくるなぁ〜と思ったら、その人が事業所の責任者の方でしたわ。

そして、B型事業所の責任者の方と話して、「興味あったら一緒に働いてみる??」と、話を持ち掛けられた事が全ての始まりです。

 

こっから、私の人生が狂い始めた訳です。

 

実は、広報部署の非常勤を辞める頃にも、どっかのB型就労支援の事業所の仕事に応募しに行った事があります。

勿論、圧倒的スキルも無く、福祉関連の経験も資格も無いので門前払いされましたが。

私にとっては、人に対して何かを教える事が、全ての職種の中では、まだ比較的楽しいと感じられます。

私の人生で初めてのアルバイトは、ウチの市が業務連携していた、オンライン家庭教師の仕事でしたもの。

また、ただでさえ働いたら負け精神である私。

だからこそ、就労支援と言う場で働けば、他の利用者の方も頑張って社会人として動けるようになろうとしている様子を見て、自分も頑張らなければと言う気になれます。

そう言った面で、B型事業所の支援員の仕事は合っていると考えました。

ですが勿論の事、未経験の仕事過ぎて、どう転ぶのか全く読めない状態でした。

 

さて、そうした状態で私は、2月3日に面接に向かいました。

するとどうでしょう。B型事業所の責任者の方は、もうとっくのとうに採用を決めていたそうで、その場で内定を貰いました。

私はここまで約2年間、悉く門前払いをされ続けていたので、ようやく受け入れて貰える場所が見つかったので、その場で泣き崩れました。

そうして、3月からは晴れて、週5日勤務で真の第二の本業が始まる。

・・・はずでした。

 

2月の下旬になり、B型事業所の責任者にはこう言われました。

「仕事始まるの5月からになっちゃいそう〜〜」と。

・・・はっ??

求人サイトの画面には、『3月スタート』とデカデカと書かれていたのに、

まずそこで話が違って来る訳です。

ただでさえもう既に、メル●リからの借金や、訓練校に通う人だけ借りられる年率2%のろうきんからの借金も底を着きそうだと言うのに。

私は採用が決まってから2月・3月・4月と3ヶ月間、半分NEET・半分フリーター状態で継続する事となりました。

何だったら初任給が入るのは6月20日だったので、5月も耐え抜かなければなりません。

勿論、全財産なんて足りる訳がありませんので、私は更に15万追加で借りました。

父親も物凄く疑っておりましたね。そんな所、本当に信用出来るのか??と。

私は、折角2年経ってようやく見つかった職場だったので、何でそんな水を差すような事を言って来るのかねと、聞く耳を持ちませんでした。

B型事業所の責任者にも、内定通知書も出すから!! 絶対採用するから!!と念を押されていましたもの。

 

でも、よくよく考えたら色々とおかしかったんですよ。

まず、他に従業員は誰が居ますか?と聞いたら、責任者と私との二人だけって言われて、

はっ???ってなりましたし。

↑職場の見学をしに行く事になっていたから、電車に乗って向かっていたら、

いきなり「今日は見学無理になりました。」って言われて交通費無駄になりましたし。

色々とズサンな感じは既に出ていたのですがね。

 

さて、ここからはちょっと私の悪い所なのですが、

そうなったら、いよいよ好き勝手暴れ回れるのは、この3ヶ月だけだな!!と思い、

私は、愛媛県まで初上陸しに行ったり、18きっぷで4泊5日で東京まで行ったりしていました。東京に関しては、カントー地方の着ぐるみの仕事に行く為でもありましたが。

お金がマジで無いんだったら、行動は慎むべきなのですが、

何ぶん、私は常日頃から遊ぶ事しか考えておりませんでしたからね。

子供の頃に、私の名前を脳内メーカーに打ち込んだら、頭の中全て『遊』でしたもの。

 

そうして、ようやく迎えた5月1日。

責任者の方と二人っきりの事業所内で、利用者も誰も居ない中、仕事が始まりました。

私は、このブログ内での訳分かんないノリのいつもの感じで喋っていたら、

それはもうバカウケバカウケでしたわ。責任者の方はずっと大爆笑で。

吉良リンと言う本来の私を受け入れて貰えているような気がして、

ここは本当に運命的な職場だと確信していましたよ。

ですが、そんな思いも束の間、一気に不信感を抱く事となります。

私は週5で働く気満々でしたが、(てか、そうしないと収入足りない。)

何故か、責任者の方には頑なに週3日勤務を強要されました。

週3日勤務では、初任給はたった11万しか出ません。勿論、お金も足りません。

私は、せめて週4でも全然行けます!!と何度も何度も言いましたが、

責任者の方は頑なに「2年間まともに働いて来ていないのですから、初めは週3から働いて慣れて行った方が良い」と自論を押し付けられて、結局週3勤務になりました。

私は、絶望的にお金が足りない事が確定したので、とてもドン底に落ちましたが、

これから先、何年も続けて行く前提で居るので、メンタルブレイクしない為にも、ここは週3日勤務で無理なく働いて、楽しく生きて行こうと考えました。

 

そして、5月4日・5日・6日と3連勤を入れて、

仕事を早めに切り上げて、責任者の方と地元のコスイベに観に行きました。

そこでも責任者の方とは大いに話が盛り上がりました。

私はとにかく、職場の人が私と責任者との2人だけなので、

ただひたすらに気に入られるように全力を尽くしておりました。

正直、隣のベランダで一日中何度もiQOSを吸っているので、匂いがこっちまで充満して超ウルトラスーパーハイパー嫌煙家の私には物凄く苦痛でしたが我慢していました。

帰ってからも、iQOSの匂いが全身に染み付いていて、非っっっ常に不快でしたね。

それでも、今年の初詣で引いた御神籤の『就職』の欄に、

『目上の引立てで叶えられる』と書いてあったので、

サバ●ナ高橋並みのヨイショをしようと尽くしました。

(まぁ、あの人は後輩いじめをしていた人らしかったけども)

私は後輩には優しいですよ?? 歳下の芸能人に嫉妬ファイヤー着火しまくるけども。

てか逆に、目上の人に歯向かってんじゃね??

 

そして、木金月と5連休を明けて、5月12日(火)。

唯一の利用者の方と、生成AIで画像を制作するサポートをしてあげながら、

Canvaでウチの事業所を紹介するHPに載せる画像を作っていました。

1枚目に載せるサムネのような画像を作ったら、「もう既にウチの事業所のサイトを開いているんだから、サムネとか要らなくね??」と言われ、

(いや、常識的に考えて礼儀としてサムネは要るやろ!!)

とも思いながらも、そうですよねぇ〜〜と賛同してサムネを消して。

 

...そうして、利用者が帰った15時の事。

突如、責任者の方に別室に連れられました。

すると、訓練校の指導員の先生もやって来ました。

まぁ、私はこの時点で察する訳です。

あ、これ何かヤバいな。と。

そうして、責任者の方が口を開いたと思ったら・・・

はい、突然のクビ宣言。

何ともまぁ、仕事が始まってたった5日目でのクビ宣言ですよ。

私の社会不適合者さが、まさかここまで絶大だったとはね。

私は頭が真っ白になりました。

何も怒られていないし、何もやらかしてもいないし、何もしていないのに。

それと共に、大いなる怒りに満ち溢れました。

ここまで2年間、働いたら負け精神の私が燻り続けて来て、

ようやくここで運命的な職場が見つかったと思ったのに。

「じゃあ、私はどうすれば良いんですか?」

「私はここまで2年も仕事が見つからなかったんですよ?」

と聞いたら、責任者の人に、

「貴方が2年も掛かった事は、私に何の関係があるのですか?」

「それって、ただの八つ当たりですよね???」

と、今までの和気藹々な感じは何処へやら、突然高圧的にブチ切れられました。

 

就労支援の支援員として、障がいをお持ちの方が社会に出る為の支援をする訳です。

それなのに、働いたら負け精神で居る人間に支援員は任せられない。

と、今更過ぎる理由でクビにされました。

いやいやいやいや、それは初めて逢った時にも、働いたら負けだと思っているんです的な事をずっと話したじゃないですか!!!

しかも、今の仕事自体も、こんな働いたら負け精神である私でも、生きるお金を稼ぐ為に仕方無く嫌々働いているなんて感覚は一切無かったのです。

それなのに、こんな結末て。ぶっちゃけありえな〜〜〜〜〜い!!

てか、そんなんだったら、待機期間の3ヶ月の間に、幾らでも適性検査とか研修とかやる暇とかありましたよねぇ???

完全に、人件費削減としか思えない。人の人生を何だと思ってるのだ。

そういや事業所の責任者は、「自分1人で15人の利用者の面倒を見られます!!」って宣言していたので、それだったら初めから募集掛けてんじゃねぇよ!!

 

こうして私は、真の第二の本業をたった5回クビにされました。

まとめると・・・

 

卒業した職業訓練校から、スカウト的な形で同じ会社内でのB型事業所の仕事を紹介された。

面接に向かったら、その場で採用が決まった。

3月に仕事が始まると思ったら、5月まで3ヶ月間も待たされた。

いざ始まったら、今更過ぎる理由でたった5回で高圧的にクビにされた。

借金だけ無駄に増えて、完全に人生を狂わされて終わった。

 

はいもう、完全に仕事が決まったと思い込んで、

3ヶ月間、他の仕事をろくに探さずに、思う存分に暴れまくって、

無駄に借金だけ増やした私が馬鹿みた〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!

 

指導員の先生に、「一回、お金の為に退屈な仕事を週5で働きに行きなさい。」

と突き放されましたが、

いや、だから無理なんだよ!!!

去年に、生きるお金を稼ぐ為に、仕方無く郵便局の仕分けの仕事に就いたけども、

働くのが嫌過ぎて1ヶ月でメンタルブレイクして辞めたんだよ!!!

貴方たちの秩序と、私の秩序は全然違いますからね??

貴方たちにとってのLv.1は、私にとってLv.100万ですから。

ワイには、この世を生きる資格が無い事が証明されたようね。

訓練校にも就労支援にも、お墨付き太鼓判を押された訳ですから。

 

やりたくない仕事に嫌々就いても続かない。

満更でも無い仕事に就いても、こうして職場に見切られる。

あの〜〜〜、こんなんで私にどうやって働けと???

どっかに所属して働くと言う事自体が馬鹿らしいとしか思えないのだが。

 

と言う事で、父親には『あっせん』とやらを勧められました。

あっせんなんて〜ぶっ飛ばして〜 素直になっちゃえ ほれほれいいんだろ〜〜?

www.youtube.com

って、中学生の頃にずっとふざけて歌ってたけども。

これは下セカのEDね。

・・・って、『あっせん』って何なの??

www.mhlw.go.jp

と思いましたが、これについてはまた父親に詳しく聞いてみます。

 

とりあえず、ただいまナンチャン、ただいまハライチ

またNEETの恋人と再会する事が出来たよ。

折角戻れた社会人も、結局10日で終わったな。

やっぱり私は、このきらりんワンダーランドにて、永遠に遊び人として生きて行くのが性に合っているんだろうな。そう言う運命なんだよ。

 

仕事が始まらない間に好き勝手暴れ回って、

それで借金が増えたってのは、完全に私がクソ人間だからなのですが。

でも、それは真の第二の本業が始まる前提でやっていた訳なのでね。

ただ、そういやこれまた今年引いた初詣の御神籤にて、

『相場(賭)』の欄で『一発勝負は危険です』と書いてありました。

なので、この真の第二の本業の一本勝負で貫く事は非常にリスキーだったのでしょう。

これは完全に私のミスだ!!!

 

皆さんは、こう言ったド底辺クソ人間を見て、

ちゃんと週5(それ以上も含む)で働いている私って、とっても偉いじゃないか!!

とマウントを取ってくださいね。

私は私で、仕事お金人望も何も無いけども、

幸せではある自信がありますからね。個人差はありますが。

 

とりあえず、ま〜〜〜た半分NEET・半分フリーター状態に戻っちゃったなぁ〜〜。

もう非営利団体とかNPO法人とか、25歳の内に始めちゃって良いのでは??

あのキンコン西野だって、25歳から芸人以外の事業に手を出し始めたらしいですから。

note.com

別に私は、西野信者でも西野アンチでもありませんが。

でもこう言うのは、早けりゃ早い方が得だよ。

 

とりあえず、これからは約80億人の全人類を敵だと思いますね。

誰も信用しねぇ。信じれるのは自分と家族だけだ。

To Be Continued