しあわせ運べるように for 30 years.🏙💙

しあわせ運べるように。

あの日から30年が経ちました。

30年と言うと、平成時代が始まって終わるまでと同じぐらいです。

勿論、私がまだ生まれる前の出来事なので、何も知らない私がどうのこうの言える立場ではありませんが。

本日はタ●ミーと本業と、次の本業を始めてから初めてのダブルヘッダーでした。

そこで、三宮を通過するので、東遊園地の『1.17のつどい』に行きました。

117notsudoi.jp

地元民だと言うのに、ずっとTVのニュース映像でしか見ていなかったので、

30年経った今年こそは行こうと思っていました。

本当は深夜に家を出て、早朝5時46分に行こうかと思いましたが、ダブルヘッダーだったので普通に朝に行く事にしました。

今年は『よりそう1.17』と言う言葉に並べております。

後ろの方で、ルミナリエの準備が進んでおりました。

         

『1.17』と竹筒が並んでおります。

竹筒の中にロウソクを入れて灯しております。

 

さて阪神淡路大震災ですが、私は勿論生まれる前の出来事なので経験しておりません。

小学校の授業とかで、こう言う事があったんだよと何度も聞きました。

とは言っても、幾ら経験談などを聞いたとしても、やはり実際に経験していないので、どうやっても実感と言うものはありません。

果たして、実際に南海トラフなどの大地震に遭遇して、ライフラインが何日間にも渡って遮断された状況下で、僕たちはどう生きるのか。

幾ら訓練やイメトレをした所で、実際に遭遇してみないと分からないものです。

 

ちなみに、私が経験した地震と言うと、『大阪府北部地震』になります。

ja.wikipedia.org

忘れもしない、あの日の事。

2018年6月18日の朝、この日はちょうど高校の文化祭の代休の日で、ただの月曜日でしたが休みでした。

高3の文化祭が終わった代休。つまりは、私にとって最後の文化祭が終わった所です。

最後の文化祭だったので、代休の日には打ち上げとして、パァッと部活のメンバーで朝からカラオケ7時間耐久レースをやろうとしていました。

そんな日の朝です。

心無しか、朝8時前に突如目が覚めました。

その物の1分後に起きた震度5弱の揺れ。

それはもう大層驚きました。私が寝ていたロフトベッドもグワングワンに揺れました。

即座に飛び起きて、NHKを点けて状況を把握します。

あの時の揺れは流石に恐怖を感じた。

一応、ライフラインが寸断される事は無く、特に生活に支障は起きなかった。

それから特に余震は起きなかったので、とりあえずカラオケ屋に向かう。

別にそないに遠い場所では無いので、最悪何かが起きても帰れる場所だったので。

ただ勿論、自分の身を守る為、打ち上げに向かうのをやめた人も何人かは居た。

その方が賢明な判断だと思う。

人間と言う生き物は、どんなに大きな地震や大雨などの災害が起きても、

特に支障を来たさなかったら、普段通りに過ごそうとしてしまう。

同じ考えの人が多かったのか、私が行ったカラオケ屋には、溢れんばかりの高校生らが並んでいた。恐らく、皆んな文化祭の代休だったのだろう。同じ日だったのね。

結局、混雑過ぎてフリータイムで入る事が出来なかった為、その後は近所の大きなゲーセンに皆んなで行って終わった。

あんだけ大きな地震が起きても、普通に店や交通機関が動いていたら、普段通りに過ごしてしまうのです。勿論、多少の警戒心は持って居ましたが。

たまたま建物が倒壊するとか、それ程のレベルまで行かなかったから良かったものの、じゃあ、あの日あの時あの場所で、もっと大きな被害を被っていたら、自分はどうなっていたのだろうか。

幾ら、頭では冷静な判断が出来ると思っていても、家の周りが倒壊したり火事が広がっていたりと、終末的な世界が広がっていたら、私の精神は保つ事が出来ないであろう。

 

さて、TVのニュース番組などで、震災に遭った人たちの悲痛な声を見聞きする事があります。

それを被害の無かった関係の無い場所に住んでいる人が聞くと、じゃあそれを聞いて自分にどうして欲しいのだ??と考えてしまう方も居るかもしれません。

哀しい事が起きた。その気持ちは十二分に分かる。自分に置き換えるととても哀しい。

とは言っても、確かに私の力ではどうこうする事は出来ません。

例のボールを7つ集めて、生き返らせるなんて事も出来るはずがありません。

震災に遭って亡くなった方が居る。だからこそ、今を生きている自分には、その方たちの想いを踏み躙る事が無いよう、毎日を無駄にせずに大切に生きて行く事が重要です。それが、今の私に出来る事です。

『亡くなった方々の分も、毎日を大切に生きて行こう』

小学生の頃に何度も唄った「しあわせ運べるように」の歌詞にもあります。

そして、これから先、自分の身にも同じような事に直面した際、兎に角生き延びる

自分もそうだし、家族・親戚・知り合い・周りの方々も皆んな生きる事

津波が来ると言われているのに、すぐに逃げないなど、そのような事にならないよう、ちゃんとした判断を取る。

それは実際に直面しないと、ちゃんと出来るかは誰にも分からない。

だけれども、自分を信じて、いつか来るその刻に、必ず生きる事。

地元民として、1月17日は永遠に忘れません。

To Be Continued